【大悲】その1 出会い


その1 出会い
人と人との縁は、不思議なものである。彼とお会いしたのは、20数年前、京都は紫野の佛教大学の講堂であった。私たちは、浄土の御教えを人々に伝えるべく僧侶になるためこの学び舎に集った。私と彼は、お寺に生まれたわけではなかった。彼は職人さんの家に生まれ、私はサラリーマンの家庭に育った。ふたりは、それぞれ違った環境にあるものの、如来さまとのご縁を頂戴し、今この場所に立っている。
岡本かの子さんは『東海道五十三次』の中でこう書いている「私は身体を車体に揺られながら自分のような平凡に過した半生の中にも二十年となれば何かその中に、大まかに脈をうつものが気付かれるような気のするのを感じていた。それはたいして縁もない他人の脈ともどこかで触れ合いながら。」。
学生の頃は、ほぼ毎日彼と会っていた。卒業してからは、物理的な距離もあり、今では年に一ぺん夕餉を共にするくらいになった。しかしながら、会えばあの頃と同じように、よき時を共有する。
昔、彼は、私のことを“善知識”と冗談半分に呼んだ。本来、善知識とは、仏教の言葉で、よき友、ブッタの教えを共に実践し喜ぶ人々、または臨終に立ち会いお念仏をすすめる人などの意味がある。しかし、彼が私のことをいう時の“善知識”はそれとは多少違っていて、わざわざ辞書を引かなくとも私に尋ねればたいがいのことは知ることができるというような意味で、そう呼ばれていた。“善き知識”が聞ける便利な人とも言うべきか・・・。いささか、失敬なと思いつつも、お互い白髪のはえ始める年になって、こうして縁があるということをしみじみと顧みる。
中村元先生は『仏教語大辞典』で善知識のことを「人に生まれてきたことの真の意味を教えてくれる人」と解釈している。私と彼が互いにそんな存在になりつつあることを願う。
この駄文では、彼と私の関わりを通して感じた如来さまの御心をお伝えしたく思う。
ふとした時に読んでくだされば、幸甚である。その時とは、如来さまがあなたのふところに届いた時であると拝しつつ・・・。
【ペンネーム 如海子】