【大悲】その2 お地蔵さま | 極楽寺

【大悲】その2 お地蔵さま

その2 お地蔵さま

彼の家のお墓には、御丈30センチほどの小さなお地蔵さまがまつられている。彼が生まれる前、彼のお母さんのお腹には兄のいのちが宿っていた。そのいのちは、どのような因縁か私たちには思いはかることはできないが、この世に誕生したものの24時間を待たずして、短くもこの世の時を終えることとなった。その思いを受けとめてくださるかのように、お地蔵さまは今も静かに笑みをうかべつつ佇んでおられる。

彼のお母さんは、彼が成長していく最中でこう諭したという。「お兄ちゃんが今この世にいたら、あなたは生まれていなかったかもしれないから、あなたはそういったものに対して頭を下げて生きていってほしい・・・」。ある意味この母の言葉は、少年だった彼には酷なものだったと思う。しかしながら、同時に母のまっすぐ過ぎる愛と悲しみにみちたこの世を生き切る覚悟のようなものを感じる。明治期に仏教の近代化の波の中で活躍した清沢満之師のことばが胸に響く。「生のみが我等にあらず、死もまた我等なり」。母は、彼にお兄ちゃんの死を通して”人”とはなんであるのかということを教えたかったのではないだろうかと私は思う。

彼も大人になり、かけがえのない人と結ばれ、新たないのちを授かり父となった。その年の初め、彼が父となる少し前に、気丈な教えを遺した彼のお母さんは、59年というこの世での時間を終え、お浄土へ参った。私はときどき彼の家のお墓にお参りさせていただく。早世したお兄さんと彼のお母さんの墓前にお線香をたむけると、彼の原点がこのお二人なのだなとつくづく感じる。

命には限りがある。長生きしたから幸せ、短命は不幸なのだろうか。この世に永遠ということはない。しかし、永遠を感じることはできる。この私の命が終わっても、再び会いたいと切に願う人がいる。それは、限りあるこの世の中で永遠を感じたことにほかならない。永遠をどれほど感じられるかが、人の幸不幸を定めるのではないかと、おぼろげながら思う。お地蔵さまを「延命地蔵尊」と称することがある。命の長さが延びるのではなく、命の奥行き・幅を延ばしてくださるのが、お地蔵さまのご利益だと、彼の家のお墓に建つお地蔵さまは、私にそうおしゃっている・・・。


この駄文では、彼と私の関わりを通して感じた如来さまの御心をお伝えしたく思う。ふとした時に読んでくだされば、幸甚である。その時とは、如来さまがあなたのふところに届いた時であると拝しつつ・・・。

【ペンネーム 如海子】

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